必死に泣き喚いている所で目が覚めたそうです。
そう締めることが出来れば、どんなにか素晴らしいことだったでしょう。
現実は無情に刻を過ぎ去らせていくのでした。
ガチガチッガチガチッッ!! ガチガチッガチガチッッ!!
鳩尾の辺りに荒い息遣いを感じて半狂乱になり、眼球だけを金魚みたいに飛び出させてぎょろぎょろと回していた少年は、今度は、見上げた枕元の向こう側にある学習机に一人の女の子が腰掛けているのに気がつきました。
くすんだ金髪をした外国の女の子でした。熱気の籠もってきた室内が紅葉色の明かりに照らされる中、その周囲だけが何千年も閉ざされた霊廟の如き重苦しい沈黙と静謐な冷気に満たされています。昏く沈んで生者の世界から隔絶されています。
吐息の音すらさせません。瞳は日本人よりも濃い漆黒。まるで深淵を覗いたまま、ずぅっと戻って来ていないかのように虚ろな焦点の眼差しが、じぃっと、たー君を見つめていました。
纏うのは破調の美。お婆ちゃんが大切にしていた西洋人形が着ているようなゴシックロリータじみたドレスは左右が揃わず、とても、ちぐはぐ。頭部だけでも、右側だけに結わえられたサイド・テールと、左目のフック船長を思わせる眼帯、その側だけに真っ直ぐ伸ばされたストレートの前髪が、バランスを傾けて不安定感を誘います。
背中のブロンド・ウェーブの更に後ろからは、左側に片いっぽだけ、長年手入れを放棄された風に見える鉤状に乱れた天使の翼が冗談みたいに生えていました。まるで粉塵に塗れた都会の鳩のよう。どこで売っているアクセサリーなのでしょうか。
腰から向かい斜めにすっぱりと裁たれたスカートからは、本当は陶磁器製のビスクドールが等身大で座っているのではないかと思わせるほど病的に白い、血管が透けて見えそうな片脚が、何も履かずにすべすべとあどけなく零れていました。
気味が悪いほどに一致を欠いた、見事なまでのアシメトリー。
四肢が揃っているのが不思議なくらいです。
両腕で抱えられている大きなウサギの人形は継ぎ接ぎだらけで、大雑把なジグザグで縫われた口の端が上に引っ張られていて、何だかこちらを嘲笑している気がしました。
(まぁ、手ぐらいは繋いであげてもいいかな?)
状況も忘れて一時そんなことを思うなんて、おませさんですね。それはさておき。
定命の者の直感が、コイツこそが自分の末路の決定権を握っている存在だと告げます。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいっっっ!!!
女の子は無言です。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいっっっ!!!
やはり女の子は無言でした。
ここで算数の問題です。生首達磨は少年の喉元へと、0.6メートル/秒で一秒間引っ込んで、1.2メートル/秒で一秒間飛び出して、進みます。到達までは残り30センチ。火の手が彼の布団を包み込むまでは、後1分かかります。
さて、たー君が喉笛を食い千切られて死ぬのと、焼け死ぬの、どちらが早いでしょう?
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃぃぃぃぃぃっっっ!!! なんでこんなに謝ってるのに無視するんだよっっ、馬鹿野郎ッッッ!!!
ここで社会の問題です。
「ごめんなさい」には、心の底から謝罪の意を伝えようとする物と、おざなりに場を済ませようとする物、そしてその状況に至っては相手の憎悪を掻き立てるだけの類の物の、三通りがあるとします。この場合はどれに該当するでしょう?
聞けよ、コンチクショウ、殴るぞ! 殴るぞ!! 本気だぞっっ!!
ここで国語の問題です。
たー君は、二度、死者に赦して貰うチャンスがありました。
それはこの御話の何処と何処でしょう?
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいっっっ!!! ごめんなさいごめんなさいごめんなさ――ブギャッ! ぐべぇぇェッ、ぎゃべぇぇぇゲぇぇェェっッ!!
ここで理科の問題です。
人間は死後、何処に行くのでしょう?
…………、…………、…………ッ、…………ッッ!
ここで地理の問題です。
たー君は今、何処に居るのでしょう?
――――――ッ――――――ッ、ッ――――――ッッ!! ッァ゛ァァ!!!
ここで倫理の問題です。
この世の誰が温かい肉の罪を定め、この世の誰がそれを裁くのでしょう。
この問題だけは答えを教えてあげましょう。
その権能を持つ者こそが。
死者の霊魂に呼びかけ、彼らの集積される地を創ることの出来る者こそが。
――条件は、たったそれだけなのです。
だから冥府では、死後の安寧と罪の規定とを巡り、無数の地獄が争覇を繰り広げています。
哀れなたー君の目撃した女の子の名は、昏暝公ロード=アザルハ。
戯れに狩られた兎に怨學を説き、訃嶽を巡りし猛獣へと変えて現世へ送り返す、辺境の小地獄の支配者。蒼褪めた霊魂のトランペッターを率い、鐙を鳴らす骨樂団の指揮棒を振るう者。黄昏に凍てついた瘴気を撒き散らし、故ある憤墓を荒らすペイルライダー。
罪ある亡者を地に敷き栄える、晶
群れ成し隊伍を組むガイスト・イェーガー。
統べるは生者の律の天秤を揺らさんと挑む、隻眼片翼の昏天使。己の棺桶に腰掛けた。