2008年08月01日
百物語・対岸の火事 1/2 /ロード=アザルハ(の絵本) (魔が堕ち・十子)
たー君は小学4年生。
学校ではクラス新聞の係を任されて張り切っていました。
ある夏の夜のことです。
近所で火事があって、彼も家族に連れられて、野次馬に混ざりに行きました。
ウーッ、カンカン!
真っ赤な消防車と銀色の甲冑めいた防護服に身を包んだ消防士さんたちが、放水を。学校で花壇に水をあげるホースを使って遊ぶのを、何倍にも凄くしたような放水を、当てて行きます。そんな中、紅蓮の炎がメラメラと木造建築のアパートを嘗め尽くしていきました。
(わー、すごい! アニメやゲームなんかより、ずっとおもしろい!? これを学級新聞の記事にしたら、みんな驚くぞっ。他のクラスの奴らが真似しないうちに、早く帰って、へんしゅう、しなきゃ!)
必死の消火活動の甲斐もなく、やがて焼け落ちた壁からは中が丸見えに。家は棟の端から斜めに倒壊し、炭化して焦げ折れた梁や柱が、まるで魔王の棲む鍾乳洞への入り口か、怪獣が大きく開けた顎の中の牙の如き様相を呈しておりました。
子供心に深い感銘を受けた、たー君、大張り切り。映画館でスタッフロールを待たずに帰るお客さんのように、逸る気持ちを抑えられません。親の手を引っ張って帰るなり、すぐさま子供部屋へと駆け込むと、薄い青色の色つき用紙に鉛筆と蛍光ペンを走らせます。それを画用紙に糊付けして、教室の後ろのスポンジフォームのボードに画鋲で止めたのが、クラス新聞なのでした。
我ながら会心の出来でした。絵の具まで使って、隅に大きく炎の印も入れて。燃え盛る八岐大蛇の暴虐と逃げ惑う人々の模様を精一杯に脚色し、一面トップのオンリーワン。
翌日、号外として大々的に張り出したのです。
『ガオー、大怪獣カジーが僕らの町に襲来だー! 逃げ遅れた間抜けな人間は、家財道具の一切を焼かれて追い出されちゃうぞ! もう犬小屋に入って人から餌を恵んで貰うしかなくなっちゃうぞ!』
そうしたら先生に酷く叱られて、放課後に反省会まで開かれてしまいましたとさ。
口では謝りましたが、たー君は納得できません。
おもしろいのに。スリリングな記事だったのに。
先生はきっとハリウッド映画とかが嫌いであんな風に怒ったんだ。
頭が硬いんだよ。
帰り道で友達と一緒に先生の悪口を言い合った、その晩のことでした。
彼は金縛りに遭いました。
夜中にふと目が覚めれば、真っ暗な天井をぱっちりとした眸で見上げたまま、指一本動かせません。
――あれ、どうしたんだろう。トイレに行きたい訳でもないのに目が覚めちゃった。それに、頭の中にだけ僕がいるみたいで、身体がちっとも動かないぞ?
そのうち窓の外が騒がしくなり、ウーカンカンと消防の音が響き始めました。
――あ、火事だ! また見に行って、今度はもっとすごい記事を書いてやろう!
だけど、金縛りが続いているので、動けません。
そのうち窓の外が赤くなりました。喩えるなら、夕暮れの赤い日差しがカーテンの向こう側から当たってくる感じでしょうか? 少しゆらめいています。ザワザワと人の声もしてきました。
――あれ、あれれ? もしかして僕の家が火事なの?! 大変だ!
心なしか周りも熱くなり、焦げ臭い気がいたします。壁紙が燃えると毒ガスになる、という話を思い出して、気が気ではありません。
だけど、金縛りが続いているので、動けませんでした。
漸く危険を悟った、たー君。唯一自由に動く眼球を、必死にきょろきょろと動かします。
すると、布団の足元側にある本棚の上に奇妙な物体が乗っかっているのに気がつきました。
赤黒い達磨です。太い眉をぐんっと、いからせて、黒い瞳を大きく見開いた。
いえ……嗟乎!
どうしてそれを達磨などと思ってしまったのでしょう! とても怒っていたからです!
それは、見も知らぬおじさんの激昂した生首だったのです!!
赤くて黒ずんで……血塗れ……? いいえ、火傷の痕でしょうか?
息を呑んだ、たー君がじっと見つめていると、それはギシギシと本棚を揺らし、前に身を乗り出しては後ろに引っ込むような仕草を始めました。
――ズルッ。 音がしました。
心なしか生首の腫れ上がった額が近くなった気がします。
ベョリッミ゛リジュベリッ! 凄惨な調べが子供部屋に響きます。
おじさんの耳周りや首筋の皮膚が裂けていました。潰れた鼻や体液の滲み出る酷たらしい頬が前へと迫り出し、少年の顔を目指してアーチを架けんと伸びてきていたのです。
まるで魚肉ソーセージの包装を剥いて押し出すかのように。その根元からは、肉色の筒状の胴体が、真新しいフレッシュなピンクを覗かせ、血を滴らせながら続いています。
達磨は今や、ろくろ首。
乱杙の歯をガチガチと噛み合わせ、それは近づいてきます。
僕が何故こんな目に? この時初めて少年は、あの火事で亡くなった方の居たことと、近くのクラスに同じ名字の女の子がいることに思い至ったそうです。
於惡、その子のいる教室では、何が。即興の素敵なエチュードですか? 少年少女の荘厳なパイプオルガンが奏でたのは? 刺激的な体験に浮かれていた彼には、全く、全く、全く全く全く、知りも予想も考えも及びだに付かない思索の範疇外!
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっっ!!
ガチッガチッ!
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいっっ!!
ガチッガチッ! ガチッガチッ!
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃぃぃぃっっ!!
ガチガチッガチッ! ガチッガチガチッ!
posted by 謡堂 at 05:39| ◆聊枕百物語