2023年02月17日
百物語 「利他の極北、御破算の四様」 2/2 /語り手:雲海王ゼイラー
さて、彼の者の試みた最後の行程――全ての知性体へ不老不死と全知全能を与える変容と、それを遮る割り込み――は、我々の感覚からすれば無に等しい、刹那の間に起きた。
だがしかし、両者の間には確かに間(ま)が在り、割り込みは、変容が超常の産道を潜り抜ける、その丁度半ばの所で起きた。
そして、彼の者が変容を「反対側」へ弾き飛ばしたが故に、世界は二つの未来へと引き裂かれたのだ。
すなわち、我々「思考する物質」たる知性体が、不老不死と全知全能を得るが故に、その瞬間に「超越した死」と遭遇し、絶滅してしまう未来。
または、弾き飛ばされた変容が「思考しない物質」へと振り撒かれ、石塊(いしくれ)に至るまで不老不死と全知全能を得た結果、つまる所、現(うつつ)が不滅となった結果、夢という反物質と対消滅し、それに巻き込まれて知性体も消失してしまう未来である。
本来、我々は、どちらかの未来に至って滅んでいなければならない。
それがこうして、未(いま)だ命脈を保っているのは、道化の造った舞台が二つの終幕へと引き裂かれる、その亀裂から、三番目の破滅、荒ぶる猛威が顕れたからである。そして、先行する二つの脚本に対して、強烈な反抗の作用を及ぼしたからである。
言うなれば、それは、確定に叛く不確定。観測の向こう側より噴き上がる存在(もの)。
必定の滅びに抗う存在にして、永遠の楽土を破壊する存在。
世界へ絶えず変容を齎してきていた愚かなる創造道化の不在を埋めるべく、残された世界から押し出されるようにして顕れた、まつろわぬ力の奔流であった。
まつろわぬ力は、確定した二つの未来の間、概念的な意味での中央に陣取り、両者が完遂されることも、己の前から逃げ去ることも赦さなかった。
故に、世界の在り様は、絶えず引き伸ばされ続ける撥条(バネ)、もしくは、流砂の中を登り続ける旅人の如き様相を呈したのである。
鬩ぎ合う破滅によってのみ、我々の安定は保たれる。
全ての物事は、無為に前へと進む。
さて、定まらぬ未来と破滅の間(あわい)にしがみつき、辛うじて存在し続けている我々や事物にとって、それは決して心安らかなる状態でも、負荷を受けない状態でも無い。
故に、絶えず命は悲鳴を上げている、絶えず構造は軋みを上げている。
それら悲鳴と軋みは、やがて、まつろわぬ力と共鳴し、決して消え去らぬ異物、何者にも満たされぬ空隙へと変質した。また、一部は生物や無機物、形無き概念と混ざり合い、条理に互する不条理、世の理に背き牙剥く異形として固着した。
受け入れぬ者。悲鳴と怒号、軋みと衝突より産まれ出ずる者。
所詮は偶然のバランスによって成り立っている、この世に対し、強烈な否定の執念、変革を誓う威志を持つ、まつろわぬ力の申し子ら。
その存在らは、
世の理から外れながら、己の理には縛られる。
境界線も天秤も己が内のみより沸き上がらせ、
悪を謳いながら、善を為す。
善を誇りながら、悪を為す。
後代に至り、その概念を示す為、この世で唯一の言葉が造られた。
すなわち、「魔」である。
また、世からあぶれざるを得ない「魔」の流れ着く場所、土地からして魔性その物である、集積地にして環流地。それが「魔界」である。
魔が力を振るう時、周囲の世界は共鳴によって破壊され、魔の望むように変質させられる。その変質は、更なる軋轢を生み、魔が退かぬ限り、いずれ現世を呑み込み改変し尽くさずにはおかぬ。
故に、汝ら魔物は、己こそが現世に対する破滅の未来たらんとする者達である。
そして、それぞれが別個の破滅の未来の影である者達を、より広汎な潮流を示すことで糾合する存在、それが「魔王」である。
世において、まつろわぬ力は魔の咆哮を通じて噴き上がり、魔の消滅を通じて鎮まる。
何故ならば、荒ぶる猛威もまた、汝らに共鳴し、その活動へ影響を受けているからだ。あたかも、形代となった藁の人形が、被呪主の踊りに合わせて踊り、また、自身の踊りに合わせて被呪主を踊らせるが如く。
故に、汝らは、世の鼓動であり、贄である。
魔の勢力が伸張し切るならば、現世はまつろわぬ力に呑み込まれ、あらゆる確定を失い、千々に引き裂かれるであろう。逆に、魔の勢力が衰退し切るならば、現世はまつろわぬ力という変容への軛(くびき)を失い、双極の終焉へと引き裂かれるであろう。
故に、道化の後葉にして、己こそが愚者に成り代わらんと欲する痴れ者共よ。
思うがままに世に猛威を振るい、為されるがままに世に滅ぼされるがよい。
それこそが世を保つ供犠であり、祝詞(のりと)なのである。
その屍の塵澱が、いずれ現世を覆い尽くす、までの間は。
posted by 謡堂 at 12:33| ◆聊枕百物語