2023年02月17日
百物語 「利他の極北、御破算の四様」 1/2 /語り手:雲海王ゼイラー
これは、「利他の心」が、混沌より「愚者」として生まれ、「創造主」の座を経て、「道化」となるまでの顚末である。
そして、汝ら「魔」の誕生した淵源である。
初めに大いなる混沌が在った。
混沌とは、全てが生じる寸前で内包されている状態。同時に、まだ一つの存在も生じていない状態。すなわち、如何様にでもなれるが、如何様にもなっていない状態のことである。
ある時、この世で最初の偶然が起きた。
「利他の心、他者の幸福を願う心」が、混沌の中に生じたのである。
ここに、万能故に無能という、混沌の均衡、調和は破られた。
混沌とは、全てが生じる寸前で内包されている状態、であった。
その中から何かが一つ此岸に生まれたならば、それ以外の全ては彼岸に取り残される。
「利他の心」の周りには、「利己の心」及び「利他の心でも利己の心でも無い、それら以外の全て」が取り残され、世界――最古の世界となった。また、「利己の心」は自身が変化することも行動することも嫌い、ただそこに在るだけの、因果・法則と呼ばれる存在になった。
その状態は、既に混沌でも万能でも無い。
原初の完全なる調和を崩してしまった「利他の心」は、後世において「愚者」と呼ばれるようになった。
さて、万物の坩堝であった混沌から、内在していた要素が分裂・分離することにより、万能性は失われた。しかし、混沌から生じた物らの、その総体から、真の意味で事物が失われることは、決して無い。
故に、愚者と世界とが接触し、両者が混じり合った場合にのみ、万能性は擬似的な復活を遂げる。愚者は世界から、未だ生まれぬ物を望むがままに取り出せるようになったのだ。
こうして「愚者」は、「世界に不可逆の変容を齎す呪い」、もしくは、「創造主」となった。
さて、「創造主」となった「愚者」――「利他の心」には、幸福を願うべき他者が必要であった。故に、彼の者は、幸福を感じ取れる存在として、思考する物質――知性体を創造し、その幸福を願ったのだった。
我々、知性ある者の原型は、かような仕儀により世に形を得、思考する物質を取り出された世界には、思考しない物質が取り残された。
次に、彼の者は、世界から種々の幸福を取り出し、知性体達へと分け与えた。
食事で腹を満たす幸福、睡眠を貪る幸福、姦淫に耽る幸福。
その他、思考を形にする幸福、新奇に臨む幸福、他者から奪う幸福、他者を損なう幸福、幸福を求めぬ幸福――矜持、全ての幸福を奪われた者に最後に残される幸福――復讐、ありとあらゆる幸福を、である。
幸福を全て取り出された世界には、不幸のみが取り残され、その世界に存在する知性体達を苦しめた。
一例を挙げるなら、食事で腹を満たす幸福を得た者は、食する物が何も無い世界へ放り出され、永久(とわ)の飢餓に苦しむのである。
それを見て嘆いた彼の者は、世界から幸福を満たせる物を取り出し、各々の知性体へと分け与えた。
故に世界には、幸福を満たせない物が取り残され、その究極である所の死が顕れた。
一例を挙げるなら、食事で腹を満たす幸福を得た者は、食料を得た代わりに、腐敗・毒・寄生虫等と戦わなければならなくなった。そして、最終的には知覚の終焉、死が確定したのである。
つまり、我々知性体は、幸福を得たが故に、その幸福によって死なねばならなくなったのである。
他者が不幸に見舞われたり、死すべき運命(さだめ)にあることなど、「利他の心」である彼の者には、到底、認められないことだった。
彼の者は、不幸を緩和し消す為に、夢や希望を取り出した。
それ故に、不幸を増大させ極限化する、絶望もまた顕れた。
彼の者は、死の到来を遠ざけ、永劫の彼方へ追いやる為に、盾となる物を取り出した。
それまで混沌から産まれた物らの特性として、全ての因果は混在していた。指標が無いが為に、それぞれが別個に脈絡無く、言わば狂気的に存在していた。結果が混ざり合い、逆転し続け、死も常にあらゆる知性体へと降り注いでいたのである。
我々が「時間」と呼ぶようになった盾は、因果を変化の道筋に沿って並べ直し、死を全ての最後に位置づけた。これによって我々は死までの猶予――生を得たが、その代わり、因果は不可逆となり、死という結果も決して覆らなくなった。
また、死を遠ざける盾としての時間の反概念として、死に限りなく近しい空間――虚無が顕れ、時間の増大に従って、全てを呑み込み始めた。
特に、長命の者や不死者は、これに抗わなければならなくなった。
彼の者は、己が全ての不幸と死を一身に引き受けることで、他者に幸福のみを残そうとした。
それによって彼の者は、不幸と死の受容体である所の肉体と知性を手に入れたが、引き受けることが出来た分の不幸や死が新たに湧いてくるだけで、意味は無かった。
また、我々にとって幸か不幸か、利他の心には自分を守ろうという発想が無かった為、彼の者は時間という保護膜の外側にいた。故に、彼の者にとって死とは可逆な現象であり、今も死に続けながら蘇り続けている。
彼の者は、個に力を与え、不幸や死に抗わせようとした。
それ故に、世界には力を失う現象、衰弱や老衰が顕れた。
彼の者は、個達に、言葉や協和の概念を与え、集まって一致団結することで不幸や死に抗わせようとした。
それ故に、様々な種族と文明が生まれ、格差と搾取、偏見と差別、戦争と災害に悉く焼き尽くされた。
手を尽くしているにも関わらず、一向に不幸も死も減らない様子を見て、業を煮やした彼の者は、ついに全ての知性体へ不老不死と全知全能を与えようとした。
全ての知性体を、何でも願いが叶う存在、如何なる不幸も寄せ付けぬ超越した存在へと創り変え、「超越した幸福」を享受させようとしたのである。
そして、変容を実行した正にその瞬間、そこで漸く、不幸や死が増大している原因が己の行いの所為であることに気がついた。我々にとって幸か不幸か、他者の不幸と死を引き受ける際に受容体として得た知性が、気づかせたのである。
そして、このまま変容が完了すると、全ての知性体が不老不死と全知全能を得た瞬間に、その知覚の終焉たる全ての知性体の「超越した死」――全ての知性体の「絶対の消滅」が世界に顕れ、被造物達が絶滅してしまうことを悟った。
気が動転した彼の者は、咄嗟に、その身をもって変容を堰き止め、反対側へと弾き飛ばした。そして、これ以上新たな不幸を誕生させぬ為、つまり、自分がこれ以上他者の幸福を願わぬように、全ての記憶を世界へ棄て、見聞きしたことも片端から滑り落ちるように記憶の底に穴を開けると、表舞台から去って行った。
こうして「利他の心」は、「愚者」として生まれ、「創造主」の座を経て、「道化」となり、世を放浪する存在となったのである。
忠告しておく。
「道化」とは「滑稽な者」を表すと同時に「道ばたで出遭う化け物」の意も込めている。
もしも汝が、「お節介を心臓に生まれてきた」などと嘯く存在に遭遇しても、絶対に物品を受け取ってはならない。何故ならば、それは今語った幸福と同じ方法で世界から取り出された物品であるからだ。
受け取れば、一時的な幸福は得られるであろう。だが、零落した彼の者が、汝が為の幸福を願い、それを実現させるべく贈り物を産み出す時、必ずや、汝が為の不幸も世界に取り残され、顕れている。
それは、いつか必ず汝に牙を剥く。死が救いとすらなるような、恐るべき不幸が汝を見舞うことだろう。
心せよ。
彼の者は、最後まで選択を間違え続けた。
学習の根源たる記憶を棄てても、在り様の本質たる力を棄てることは能わず、懲りずに他者の幸福を願い続け、しかし、その試みは必ず失敗する。しかも、その失敗から学んで行動を改めることは、決して無い。そのような災厄が、如何なる制約も受けずに地を徘徊する世界に、我々は在るのである。
ここまでの話を狂人の戯言と嗤うならば、我が名を知れ。
我は雲海王ゼイラー。血を流す幸福を与えられし原初の竜にして、打ち棄てられた道化の記憶を浴びて受け継ぎし語り部なり。
言祝ぐがよい。
汝らは幸福を望まれて生まれてきたのだ。
嘆くがよい。
汝らは、それ故に不幸に見舞われるのだ。
憎しみと共に崇めるがよい。
万能の無能たる女神、創世神ヤキナ・オブゼを。
posted by 謡堂 at 12:40| ◆聊枕百物語