2008年10月06日

百物語・脂足 /マーニッド五世 (魔が堕ちる夜)

 
 ある所にの、足の臭さに定評のある男がおった。

 その日仕事から帰宅したそやつは、靴下を脱いで洗濯籠に放り込み、消臭スプレーを蒸れた靴の内部に噴射しながら思ったのじゃ。
 体臭を隠す為に山ほど香水を振りかけておった西洋の大昔とは違い最近の製品は良う出来ておって、悪臭の元となるバクテリアの繁殖を抑えたり、分解したりしてくれるそうじゃなぁ?
 で、はてさて、そいつを靴ではなく己の足にかけたなら、災いの病巣を元から退治できるのではなかろうかと。

 思い立ったが吉日じゃて。その場で風呂場に直行し、軽く水洗いした足の甲に、シュッ、と爽やかな風を送り込むと、男は幸せな明日を夢想した。
 スリッパに履き替えようと靴を脱ぐ度に鼻先に漂うアレとも、これでおさらばじゃ。履き替えた後も、密閉封鎖を解かれた臭気への人の反応が気になって内心で肩身の狭い思いをすることは、もうない。靴べらを使わずに親指を挟んで靴を履いた後に思わず爪辺りを嗅いでしまう、あのけったいな習慣からも、今晩限りでお別れじゃ、と。

 ところで、の。体質だの何だのとままならん理由から来るもんにあれこれ言うのもつまらんが、こいつの足が臭いのには自業自得な理由があってのう。不精なのじゃ。物臭なのじゃ。会社勤めの癖して、風呂に入るのは夏場でも四日に一回、歯を磨くのも思い出したように月に一度。それでいて、婦女子の近くには寄りたがる、虫よく甘いロマンスを期待し鼻の下を伸ばしよる。全くもってけしからん! 率直に申して男の風上にも置けん奴じゃな。倫理的にも、肉体的にも。
 さぞかし細菌共も居心地が良かろうて。共生と呼ぶのも烏滸がましいが、人体の歩行器官の形をした繁茂の王道楽土がそこにあったのじゃ。

 この日も、
「おお、いけない。風呂で本格的に身体を洗う前に、足にスプレーをかけてしまった。もう一回使うのも勿体ないし、疲れてるし、今日は風呂に入らず飯を喰ったらこのまま眠ってしまおう」
 などとぬかして眠りにつきおった。

 翌日じゃ。
 実に爽快な目覚めじゃった。カーテンから降り注ぐ清浄な陽光はこれから始まる一日を祝福し、戸締まりを忘れた窓から流れ込んでくる普段より早く起きた朝の涼しい大気が雀の囀りと共に肺を潤してくれる。
 何よりも、いつもならむずむずと疼き始めて僅か十数分で日常の倦怠感に引き摺り込んでくれる、あのヌメッとした爪先の感触がない。嘘のように消えておる。

「ヒャッホッウ、今日から新しい人生の始まりだ!」

 さて、新生した己が足を一目見んと掛け布団を跳ね上げた男の見た物は……、

 骨まで溶けた自分の足首であったとさ。

 最早肉の奥深くまで食んで融合していたバクテリアの群れごと、一晩じっくりスプレーの成分に分解されての。

 生まれたての赤ん坊のように無垢なフレッシュピンクの肉が、こう、噛みかけのヌガーみたいに崩れておっての、その中心から伸びて途中で溶け曲がっている骨が、火で炙った棒状のハッカ飴の如きであったことよ。


 ぉぉう、何故か女性陣がどん退きじゃ。
 フェティッシュな心得が足りないようですな。


※補足
 パルセイズのいる席でこれをやられて、シェリスエルネス大恥。
 この作り話はともかくとして、消臭スプレーは人体に直接使用しないで下さい。
 
posted by 謡堂 at 19:02| ◆聊枕百物語