2011年04月10日

百物語 魚念仏 /話の採集者:悪龍妃ん所の鉄砲お嬢

 
 十五夜の晩ぁ、龍のお妃さまが、沖で月見酒の遊行ばなさるんだ。
 んだから、ワシら、漁さ出ちゃなんねぇ。
 そんのしきたりば破って、吾作さ、沖に漕ぎ出したこっさ。

 不思議な晩だったとよ。
 大きな魚も、小さな魚も、浅瀬にいる魚も、いつもは見もしねぇ魚も、わんさと海の面(おもて)に出てきてるんだ。
 波の数よりも多い鱗や背鰭が、風に吹かれた稲の穂みてぇんなって、月光に煌めいていることさ。
 皆、お妃さまのお伴なんだぁな。
 投網を打ちゃぁ、引いてる漁師の腕が痛くなっぐらい、魚がかかったんだとさ。

 するってぇとよ。
 舟の上に揚げられた内のぉ一匹が、吾作さ向けて、節をつけつけ囁きだしたことよ。
『帰りゃんせ、帰りゃんせ、ここはお妃様が酒肴を眺める波桟敷。それ以上の無作法は、決してお止し』
 吾作さ、取り合わずに漁を続けたことさ。
「すったこと言わんで、おらにも風流のお零れを分けてくんろ。何も、お妃さまの酒までお相伴にとは、言いやしねぇ」

 するってぇとよ。
 次に舟に揚げられた内のぉ一匹が、また吾作さ向けて、節をつけつけ囁きだしたことよ。
『帰りゃんせ、帰りゃんせ、知らぬか、海の御判行。今宵は十五夜、入ると酷い。悪妃様の雷立(かんだち)が、きっと、お前を焼き尽くすぞ、根こん際(ねこんざい)』
「こんな仰山の魚ぁ前にして、漁師がみすみす見逃す法こそねぇんだい。ちぃっとだけだぁ、ちぃっとだけぇ」
 魚如きの言うことに、いちいち傾ける耳もあるもんかい、ってな。
 そんな時間も惜しいとばかりに吾作さ、投網を打ち続けたこっさ。

 するってぇと、三度目だ。
 今度は舟に揚げられた魚ぁ、全部が全部、吾作さ向けて、一斉に叫びだしたことさ!
『痛い目見るぞ、いっぱい骨灰、五六杯! 今すぐ、あたしらを捕るのを止めないと、虎魚(おこぜ)の入道様が、きっと、お前を懲らしめにやってくるぞ!』
「まぁまぁ、も少し静かにしといておくれ。そう口を尖らせて叱られちゃあ、かえって止めたくなくなるもんさぁ」
 それでも吾作さ、引き返す素振りを見せやしねえ。
 しまいにゃ、布屑を耳に詰めて、栓をしちまった。

 こうなると、もう、魚どもも何も言わん。
 ただ、舟の周りの連中が、こう口々に嘆き合うだけなんだ。
『なめらさんぽう、南無三宝。しまったしまった、仏の顔の三回目』
『手遅れ手遅れ。入道様の思し召し』
『南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏』

 月光のしずしずと降り注ぐ、明るい晩だったとよ。
 油の膜に水を一滴落としたみてぇに、吾作さの舟の周りだけ、ぽっかりまぁるく魚の群れが引いていく。
 そこに海底(うなぞこ)から、ぬっ、と浮き上がる影があるこっさ。
 千石船より大きな虎魚の影だ。
 岩礁みてぇなゴツゴツの表面に、真っ赤な血と硫黄を混ぜたのかってぐれぇの斑の筋が入ってる。平べったい躯に、牙を剥いたおっかない顔を乗せて、坊主の袈裟を引っかけてやがるんだ。
 そいつが、背鰭の棘から猛毒の靄を漂わせながら、海面に口を近づけてくる。
 まるで、鯉が投げられた餌を呑み込もうとするみてぇにな。
 そうして吾作さ、ぱっくりと舟ごと食われちまったんだ。
 
posted by 謡堂 at 05:48| ◆聊枕百物語